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色々

最近のことをメモ代わりに。

・卒展の会場、日程が決まる
→3月6日?8日 横浜のBank Art Studioにて。専修大学上平研究室と合同卒業研究展を行います。詳細はまた後日。

・行きたいところメモ
多摩美オープンキャンパス(八王子キャンパス)(できれば上野毛も)(でもテスト期間)
君の身体を変換してみよ展(ICC)
金の卵展
横浜トリエンナーレ

・参加するもの
横浜山手フィールドワークワークショップ

・参加したいもの
ex-sight
FF/FX組と香川

・就職が決まりかける
また来週伺う

・3年生の夏の予定にビビる
一言もの申す

・卒論もそろそろ始める。かも。
とりあえず多摩市役所に行く



なんだかまたーりしてきてしまっている気がしてなりません。
また怒濤の日々が来るとはわかっていても、このマターリしている時間は落ち着かない。
はやくやれることができればいいのになー。
時間の使い方が下手なくせに忙しくないと落ち着かないと言う。器用貧乏です。あ、そもそも器用じゃありませんでした。

・iPhoneについて
5326150.jpg

買いました。


友人が。
とりあえず私は様子見組です。
どこもにがんばってほしい気もするが、どうかな・・・。



・ぼやき
こっからはぼやきです。
先日就活で某会社に行って、ポートフォリオをお見せしながらお話をしていたときのこと。
小池研は活動中心のデザインを行っています。活動中心のデザイン。その活動とは自分の活動です。自分の活動に焦点を当てて、ものやことをデザインする。
今人間中心設計とか、ヒューマンセンタードデザインとか(同じか)色々言われているわけで。でもその人間てだれよ?ってことになる。具体的なユーザが見えないままもののデザインを行っても仕方ないと。
そこでペルソナというものが出てきたとして。そのペルソナもきちんと役割を果たせるならいいですけど結果自分の話を通す為の都合のいい仮想的な人(=自分)であったら何の意味もないわけで。
というお話を伺いました。
活動中心のデザインて、どこか説得力があるようで実はない。「私は」○○という活動をします。だからこれが必要なんです。そう言っても結局「私」以外の人に納得してもらえるかもらえないかっていったら納得してもらえない方が多いかもしれない。

小池研で活動中心のデザインを始めて1年。展覧会などで評価してくれる人に出会うと、嬉しい反面不安になることも多々ある。



だって、仕事で「私は」では通用しないから。
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comment

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こんにちは。

以前、成果発表会でお会いした小林といいます。
お元気そうでなによりです。

>だって、仕事で「私は」では通用しないから。

とのこと。
私はまだデザインの仕事で15年程度しかご飯を食べていない若輩者で、そうした意見として聞いてくださいね。

マーケットに対してあるデザインを投入する際に、その正当性、妥当性を証明するために、レイアウト論、心理学、色彩工学、マーケティング理論、大脳生理学、認知学、人体工学、もちろん倫理や企業文化、収益性など色々なことを考えます。

けれども、論理の正しさが、結果を保障しないのです。
特に今後日本の産業が志向する「新しくて楽しい体験をデザイン」する商品郡の開発において、その傾向はさらに顕著になると思います。

いきなり結論ですが、商品を成功に導くジャンプを成し遂げるのは、個人の情熱に深く依存していると思います。
こうした背景から「私は」が今後、さらに重視されていくと私は感じています。

そういう理由で私を起点にした活動中心のデザインは非常に有用な手法だと私は感心しております。

就職活動で重要なのは、いかに社会に自分を適合させるかだけでは十分ではありません。自分にあった道をうまく選ぶため、自分の特性を良く知るかということも極めて重要な事だと思います。ここでも「私は」は重要ですよね?そして、それは就職後も続くのだと思います。ひょっとすると永遠に。

迷いは多いと思いますが、最後は縁。自分の選択を信じ進むしかないよね。
「人が道を選ぶのではなく、道が人を選ぶ」と言う言葉が私は気に入っています。

では。

小林さま

こんにちは、山田です。
まさかこのブログを身内以外の方に読んで頂けていてまさかコメントも頂けるとは思っておりませんでしたのでまずそれに驚いております。どうもありがとうございます。

>論理の正しさが結果を保障しない
という部分、とても考えさせられました。
私はゼミで行っている「活動中心のデザイン」とは別に、企業などのインターンシップや実習などで、心理学や認知学、文化や風習などから、論理的にものごとを考えるやり方でデザインに取り組むこともありました。(ものごとすべてが論理的に説明できることではないとわかっていますが)

「仕事で「私は」では通用しない」と言ったのは、活動中心のデザインにおいてデザインされる「もの」や「こと」のユーザは「自分」であり、「自分がこういう活動をするからこれが必要なんだ」で、デザインを終わらせようとする場面に何度も立ち会ってきたからなんです。

何かをデザインするとき(デザインとは限りませんが)それが使われる場面、状況、使うひと、使うもの、色々な要素を考えます。しかしその要素の基準が「自分」だけではいけないのではないかと考えることがあります。
しかしそのデザインを進めるていくとき、小林さまのおっしゃる通り個人の情熱や意見が必要であるとも思います。

「新しくて楽しい体験をデザインする」ときも、「社会的に見てそれが新しい」ということよりも、「私はこれが楽しいと思う」という方が、情熱や意見を持って取り組めるのかもしれません。

「一番いいデザインの方法」というのは、私にはまだわかりません。(それがあるとも限りませんが)けれど、自分が「こうがいいのではないか?」と信じる部分はあります。そういった意味では自分の選択を信じ進む他ないのかもしれません。
でも確実に言えるのは、「自分」しか目に入っていないのは、いけないのではないかと。そう思いました。

長々とすみません。コメント本当にありがとうございました!
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Author:kasumi
府中でUI/UXデザインのお仕事をしています。

まだ新米です。

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